私は3月末に生まれたため、幼稚園入園以来体育では苦戦を強いられました。また母譲りの悲惨な運動神経も相まって、外で遊ぶのが嫌いでした。そんな私を憂いた母に「男の子らしく、遊園地に行って野球でもしてきなさい!!」と家を追い出されると、おままごとをしていた女の子の中で、嬉々としてお父さん役を演じている始末でした(苦笑)。
運動神経抜群の父の夢は「休日に息子とキャッチボールをすること」でした。しぶしぶ付き合っていましたが、ある日私のやる気のない態度に業を煮やした父が速球を投げたところボールが顔面に命中し、それを機に父の夢は終わりました。
そんな私は小学三年生の時、祖父が教えた将棋にはまりました。春・夏・冬の連休に東京の母親の実家に行くと、祖父は私といとこのM君(同い年)相手に将棋の猛特訓です。私とM君はたちまち腕を上げ、師匠である祖父の手に負えなくなりました。その後も日本将棋連盟の機関誌『将棋世界』や棋書を読みあさり、中学卒業時には初段程度の棋力になっていました。
無事高校に入学すると、即日将棋研究会に入部し将棋三昧の日々です。途中駅から電車に乗ってくるO君と車内で一局、昼休み・放課後は部室で指しまくり、帰宅後も新戦法開発に余念がありません。日曜日はNHKの将棋講座と対局を見た後、街中の将棋道場で腕を磨きました。交通事故で40日入院した際も、寝たきり(無意識)の状態で手を上に伸ばし将棋を指そうとしている私の姿を目撃した母は、故米長邦夫先生にプロ入りの可能性について電話したほどの熱中ぶりでした。
その甲斐あって棋力は四段となりましたが、学力は急低下です。一浪の末なんとか入った大学でも初日に将棋研究会に入部しました。そんなある日、部室で将棋を指していると「よかったらバックギャモン(西洋すごろく)をやってみませんか?」との勧誘を受けました。最初はバカにしていましたが、やってみるとなかなか奥が深く、競技会に出場するほどはまってしまいました。
また大学入学と同時に入った学生寮では麻雀が義務付けられており、こちらにも思いっきりはまりました。私の大学時代は、将棋・麻雀・バックギャモン・大貧民・読書・サイクリングと、今思えば色気のない青春でした(笑)。
将棋や囲碁はゲーム理論では「完全情報ゲーム」に分類され、情報はすべて目の前に開示されているのが特徴です。つまり「運」の要素は極小で、「実力(腕)」が勝敗を決します。それに引き換え、麻雀・バックギャモン・大貧民(含む他のトランプゲーム)は「不完全情報ゲーム」に分類されます。完全情報ゲームと比べ「運」の要素がかなり高いのが特徴です。将棋・囲碁だと二段違うとなかなか上位者に勝てませんが、不完全情報ゲームでは下位者が上位者に勝つことも日常茶飯事です。
【ゲーム理論】 | 社会や自然界における複数主体が関わる意思決定の問題や行動の相互依存的状況を、数学的なモデルを用いて研究する学問。 |
私は最初に覚えたゲームが将棋という完全情報ゲームだったため、不完全情報ゲーム特有のうさん臭さに当初強い違和感を持ちました。将棋や囲碁の棋士の諸先生には「学究の徒」「求道者」のような方が多く、尊敬の念が抱けましたが、麻雀雑誌で拝見するプロ雀士は失礼ながら「ばくち打ち」といった感じでした。
棋書で紹介される戦法が数学における定理だとすると、麻雀書で紹介される戦法は論理的根拠も脆弱で、哲学科の私の目からはオカルトにしか見えませんでした。将棋道場で会う人と雀荘で会う人では、同じ日本人とは思えないほど印象が違いました。こうして振り返ってみると、ガチガチの理論派だった角川青年がなぜ不完全情報ゲームにはまっていったのが不思議です。
いま改めてその理由を考えると、不完全情報ゲーム特有のうさん臭さを論理的に解明してやろう、という野心があったように思います。「運」という通常は見えないものを、見えるようにしてやろうじゃないか!!という青臭い情熱に突き動かされたのでしょう。
そんな青臭い私も、いざ社会に出てみるとほとんど理論が通用しない現実に直面します。そんな中で、一番役立ったのが一見うさん臭く見えた不完全情報ゲームで体得した「運」との付き合い方でした。また将棋・囲碁は対戦相手が一人ですが、麻雀・トランプは複数名と戦います。その点もより現実社会に近い気がします。つまり実社会とは不完全情報ゲームに他ならない、というのが私の結論です。私が専門とする組織マネジメントや会社経営などは不完全情報ゲームそのものです。日々激変する「経営環境」という名の「運」に振り回されています。
さて、実力がすべての完全情報ゲームに比べ、運がかなりの比重を占める不完全情報ゲームに勝ち抜くにはどうしたらいいのでしょうか?ここで皆さんも目を閉じて、しばらく考えてみてください(そのまま眠らないでくださいよ(笑))。なおここでは、私が日夜励行している「神社巡り」は正解から除外します。
不完全情報ゲームの必勝法は、実は簡単です。少しでも完全情報ゲームに近づけることです。もう少し具体的に説明しましょう。麻雀で使用する牌の裏面は30年前は天然の竹を使用していました。そのため記憶力のいい人なら、一ゲーム(半荘)打つ間に全136牌中20~30牌は覚えてしまったそうです。またイカさま師の常とう手段に『ガン牌』というものがあります。これは竹の面に爪で傷を付け、牌が何か分かるようにする手法です。
将棋観戦記者で自他とも認める雀豪のN氏は棋士と何度対戦してもコテンパンにやられるので不思議に思い、ある時理由を聞いてみたところ、M九段曰く「だって僕らは牌が何だか分かるんだよ。悪いけどNさんとじゃ盲目と目明きの勝負だよ。負けるはずないよ」というものでした。
つまり不完全情報ゲームの必勝法とは、対戦相手より多くの情報を持つことなのです。対戦相手には見えない情報を持つことがいかに戦いを有利に進められるかは、第五世代ジェット戦闘機(F22、F35、SU-57、J-20等)がすべてステルス機(レーダーに捕捉されない機体)であることからも明らかです。同じ戦いが自分にとっては不完全情報ゲームなのに相手にとっては完全情報ゲームだった場合、自分にとっては悲劇、相手にとっては喜劇となります。
1942年10月11日の深夜に行われたサボ島沖海戦では、米軍のレーダーに捕捉された日本艦隊が、姿かたちの見えない米艦隊から一方的に砲撃され、大損害を被りました。また1944年6月19日のマリアナ沖海戦では、ミッドウェー海戦の敵討ちを期した日本軍が遠方より放った艦載機群が米軍のレーダーに捕捉され、待ち構えた最新鋭戦闘機F6ヘルキャットと新兵器VT信管の餌食となります。その結果、敵艦にほとんどダメージを与えられずに日本軍の航空戦隊は壊滅的損害を被りました(俗にいう『マリアナの七面鳥撃ち』)。また同年12月25日、魚雷艇の猛攻撃を耐えフィリピンのスリガオ海峡に単縦陣で殴りこんだ西村艦隊を待ち受けていたものは、島陰に隠れた米戦艦・巡洋艦軍によるレーダー射撃の雨でした。その結果、西村艦隊は駆逐艦一隻を除き玉砕します。これらの悲劇から、我々は今一体何を学ぶべきでしょうか?
それは「会社経営」「組織マネジメント」という不完全情報ゲームを、すべてのデータが開示されている完全情報ゲームに変えることではないでしょうか?これを競合他社に先んじて行えば、御社は前述の戦争の事例における米軍となることができます。競合他社(旧日本艦隊)が見えないものが御社には見えるのですから、普通に考えて負けるはずがありません(対戦相手が目隠しをしているボクシングの試合を想像してみてください)。
前述の海戦における「レーダー」に該当するものが「組織マネジメントシステム(OMS)」です。これによって従来のいわゆるKKD(経験・勘・度胸)の前時代的経営から、数値データに基づく科学的経営へと生まれ変わることができます。
それだけの威力を持つOMSですが、物には順番というものがあります。レーダーの導入前に、最前線で戦う兵士や指揮官が一体何に困り、どのような兵器を切望しているのを調べ、その調査結果を共有化する必要があります。それなしに導入すると指揮官や兵士に導入意図が伝わらず、せっかくの最新兵器が死蔵されてしまう可能性大です。私は過去に数回、高額な経費と膨大なマンパワーで導入したシステム(ISO、ERP、内部統制等々)が、経営にほとんど寄与しない「お飾り」化しているのを現認したことがあります。
このリスクを回避するのが『従業員アンケート』です。これでレーダー(OMS)の必要性を顕在化・共有化します。その上でOMSを自社構築すれば、御社に襲い掛かる敵機を士気の高揚した従業員が叩き落してくれ、競合他社との戦いを制すことができます。導入前に『従業員アンケート』をやる・やらないで、導入効果に天と地の開きが発生します(しかもその費用は、効果に対して取るに足らない額です)。
あなたはいつまで「不完全情報ゲーム」を続けるおつもりですか?