大日本帝国が第二次世界大戦に参戦したのは1941年12月8日の真珠湾攻撃か
ら、と学校の歴史の授業では教えています。しかし実際は、1931年の満州事変以来ずっと戦争状態でした。「戦争状態」とは、ある特定の原因で年間1万人が死ぬ状態を指します (交通戦争等)。日本は満州事変以来、中国大陸で年間一万人以上兵隊を失い続けています。ですから先の大戦を「15年戦争」と呼ぶ人もいます。
泥沼化した対中戦争だけでも大変なのに、悪夢の日独伊三国同盟締結により、米英仏蘭まで敵に回すこととなりました。その結果、建国以来初めて戦敗国となりました。1951年に再独立した、と学校では教えていますが、これまた事実とは異なります。在日米軍の存在や日米地位協定を見ればわかる通り、残念ながら戦後75年経った今日でも、我が国日本は事実上アメリカの植民地状態にあります。
このメルマガのタイトルにある「日本史上最大の失敗」とは、日独伊三国同盟により第二次世界大戦で枢軸国として戦った結果、明治維新以来積み重ねた国富と軍隊(世界第三位の海軍等)、そして多くの国民の命を失い、全国180都市が灰燼に帰したことを指します。B29の徹底的な爆撃により、工業生産力の9割弱を損失しました。75年前、我々の祖先は文字通り「見渡す限り一面焼野原」から立ち上がったのです。
【注】 「東京 焼野原」 で検索すれば、当時の様子が見られます。
意外と思われるかもしれませんが、戦前の日本は結構豊かで、テレビ・パソコン以外のものは当時すでに存在していました。【注】 その当時の街の様子は、YouTubeで 「戦前の日本 昭和初期のカラー映像」で見られます (貴重なカラー動画です!!)。
経済白書のサブタイトルに「もはや戦後ではない」と書かれたのは昭和30年 (1955年)のことです。つまり前述の「焼野原」から戦災の痕跡を消し、戦前と同レベルの生活に復帰するのに10年かかったということです。朝鮮戦争による特需景気がなければ、さらに年数を要したことでしょう。
さてここで皆さんに質問です。有史以来独立を保ち続け、世界最古の王朝(天皇)を擁するこの国が、なぜ必敗の戦争を戦う羽目に陥ったのでしょうか?
今日では、明治維新は英国の極東戦略の一つであると言われています。またアメリカのフロンティア政策 (Go West) やオレンジ計画もありました。これら他責の事項はいったん横に置き、自責 (日本側の落ち度) についてだけ考えてみてください。
【 日米開戦に至るまでに日本の犯した失敗 】
将棋の格言に「勝ちに不思議の勝ちあれど、負けに不思議の負けなし」というものがありますが、上記①~⑨を見るとあの戦争は負けるべくして負けた、と思わざるを得ません。特に上記②③⑤⑦⑨を見ると『日本型組織の弱点』がはっきりと見えてきます。
【 日本型組織の弱点 】
それでは上記の特徴を持つ日本型組織は、一体どのようにマネジメントしたらよいのでしょう? 私ならこうします。
【 日本型組織のマネジメント方法 】
「人は理屈では動かない」 「人間の意思決定は感情が左右し、理屈はそれを検証する道具に過ぎない」 等々の言葉を身体で理解していると、上記①~④が腑に落ちるはずです。腑に落ちない人は、まだまだ苦労が足りないですね(笑)。
脳科学の知見によると、人間は失敗からしか学べないそうです。また歴史学の知見から、失敗からも学んだ事例も少ないことが分かっています。我々が歴史から学べることは、人類とはなかなか進歩しない生き物だ、ということなのでしょうね。
鹿児島の知覧基地から沖縄に飛び立つ寸前に飛行場の片隅に集まり、彼らのマスコットである子犬を抱きかかえて談笑する17~19歳の若者たちのあどけない笑顔の真 (【注】 「特攻隊 犬」で検索可 ) を見る時、失敗から学ぶと同時に、再発防止の仕組み構築こそ、彼らに対する最高の供養に違いないと確信します。若き特攻隊員の死を無駄にしてはいけません。
あなたは「日本史上最大の失敗」から何を学びますか?