日本では1890年に第1回の選挙が行われました。議会制民主主義の始まりです。その後1928年に男子普通選挙が、1946年からは婦人参政権が認められました。そうなるまでの過程は生易しいものではなく、自由民権運動の旗手 板垣退助は遊説中に暴漢に襲われました( その際発した「板垣死すとも、自由は死せず」との名言は歴史に残りました)。今日では選挙に行く方が少数派になる等、国民の政治離れは著しいものがありますが、18歳以上の男女全員に参政権がある今日に至った先人の血と汗と涙を想うと、安易に棄権しては申し訳ないと思うのです。
そんな想いから、私は国政・地方を問わず選挙を棄権したことがありません。ただし1点、以前から気になっていたことがあります。国政選挙の際、同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査です。法曹関係者以外の有権者で、15名いる最高裁判事の名前を知っている人がいるのでしょうか? まして彼(彼女)らの業績について知っている人は稀でしょう。となると、有権者は一体何を元に信任・不信任を判断したらいいのでしょうか?
高校三年の時、政治・経済を教えてくれたA先生は「投票用紙の一番前と最後に名前が記載された人の不信任率が、毎回高いと言われている」 「有権者は「せっかくだから、権利を行使してみるか」と考えるんだろうな」 「その結果、前述の2名に不信任が集中する」 「この制度が発足した1946年以来、罷免された裁判官は0名だ」 と、笑って話されました。
それから40年の歳月が流れた2021年に至るまでこの信任投票により罷免された最高裁判事は依然として0名です。三権の一つ司法権を司る15名の方々です。さぞ厳密な選考過程を経て選任されるのでしょうが、戦後75年間にわたりその全員が国民の意思を反映した判決を出し続けてくれたのでしょうか? 『投票により国民の審判を仰ぐ』という一見立派なシステムは、ひょっとして機能不全を起こしていないでしょうか? 品質管理の世界では「75年間不適合製品ゼロ」は可能性ゼロに等しく、仮にそうだとしたら検査方法を疑う方が自然です。
ところで、新聞・雑誌を読まずTVも見ない私はネットニュースが情報源なのですが、他のメディアが一方通行 (私書く人、あなた読む人) なのに対し、ネットニュースは双方向メディアで、読者も意見を述べられます。記事の執筆者が不勉強だったり、偏った意見だった場合など、読者から情け容赦のない反論が浴びせられます。執筆者の心が折れるのでは?と心配するほどです。
中には執筆者よりはるかに見識の高い意見や指摘をする読者もおり、この国の民度の高さに驚くこともしばしばです。そんなネットニュース読者が、発足当初から陳腐化している最高裁判所裁判官国民審査を見逃すわけがありません。以下、意見の一部を転記します。
同審査が機能していない理由は上記①~⑤ではっきりしましたが、機能していないことを証明するにはどうしたらいいでしょうか? 私だったら、下記の2つの方法のいずれかで証明して見せます。
A案は早いのですが、①PPT(業務目的体系表)の出来・不出来のばらつきが大きい ②数値データではないので説得力が弱い、の2点が弱点です。そこで以下、B案による証明方法(費用対効果)についてご説明します。
たったこれだけです。もし1回分だけでは数値データに迫力がないなら、75年間の総計にすればOKです。『国民の審判を仰ぐ』という耳障りの良い言葉の陰に隠された衝撃の実態が「見える化」されます。「75年間罷免者ゼロ」というアウトプット(効果)を得るのに要したインプット(費用)を見て、「税金の壮大な無駄遣いじゃないか、ダメだこりゃ!!」と誰もが思うに違いありません。
昨今YouTubeのおかげで、国会運営の実態が容易に視聴できるようになりました。私もたまに見るのですが、ダイジェストでなくフルバージョンで見ると、こちらも国民審査と同様に機能していないことが明白です。その理由は国会議員・国会運営者の双方に「費用対効果」という概念が乏しいことによります。これも私なら下記のように改革します。
たったこれだけで、国会議員・国家公務員・国会議事堂職員の「考え」と「行動」が変わり、「コスト意識」が徹底します。その結果、莫大な歳出が削減でき、税金の無駄遣いが激減します。しかも実施に必要な費用は、実施効果と対照した場合、無視して構わないレベルです。この対策自体が「費用対効果」に優れています。
ここで話は変わりますが、皆さんの会社にも『国民審査』 『国会運営』と同様に費用対効果について検証することもなく、実施すること自体が目的化した形骸化した業務(弱目的業務)は存在しませんか?
全間接業務を一枚にまとめ、各業務毎のインプット(投入工数)とアウトプット(成果)を「見える化」した『AIOS標準ver.』は、個別工数単価によりインプットを投入金額に変換することにより『AIOS業務毎単価ver.』へと進化します。これにより形骸化した仕事は明確化します。私の経験では、定例会議・定例業務がたいがい形骸化しています。特に安全衛生会議のように、法律で開催が要求されているものの形骸化が目につきます。
前職で私が在籍した総務部では、誰も読まない社内報、利用者のほとんどいない契約保養所、表彰者がちっとも喜んでいない永年勤続者表彰パーティー等々、会社の金をドブに捨てる行為(経営に対する犯罪)が横行していました。かつて社会主義諸国でよくみられた事象が、21世紀の自由主義経済の国の営利企業で行われているのですから、ほとほと情けなくなります。
国民審査・国会運営の形骸化対策として挙げた「費用対効果の検証」は適用範囲が広く、その有効性は非常に高いのが特徴です。会議、プロジェクト、各間接業務は言うまでもなく、管理職や担当者の生産性向上もこれ一つで解決します。AI化、IoT化、DXのように莫大な費用も不要です。わずかな投資で莫大なリターンが期待できる「全間接業務費用対効果の検証」手法が株券なら、買いが殺到し一瞬でストップ高( 売買停止 )になること間違いありません。
投入金額に対する「費用対効果の検証」を一度行った会社に、もはや「形骸化業務」の居場所はなく、また今後二度と復活することはありません。全間接員に費用対効果(投資と回収)という「経営者感覚」が身に着くからです。全従業員が経営者感覚を持つ会社が、競合他社に負けるはずがありません。敵チームには4番打者(経営者)が1人しかいないのに対し、御社チームは1~9番までホームランバッターです。監督がベンチで居眠りしてても勝てます(笑)。
あなたは「形骸化した業務」を放置していませんか?